東京の大学に通い始めて初めての夏休み。 田舎の両親には申し訳ないと思ったけれど、私はお盆の帰省時期を除いて、東京でアルバイトを続けた。 夏休みに入る前、月川は私に横浜の支店でオフィスワークのアシスタントをしてくれないかと頼んできた。
「現場のレイアウトを考えたり、クライアントとの打ち合わせや、時々図面も引いてもらうから。 夏休みは、子供向けのイベントも入ってくるから、結構忙しくてね。 たまに徹夜になったりもするんだ。 あ、綾乃ちゃんは徹夜することは無いけど。」
大学で空間デザインを勉強していた私は現場以外の机上の仕事にも魅力を感じていた。 私と同じくデザイン科を卒業していた月川とも話が合ったし、月川から実践を学ぶにはいいチャンスだと思った。 何より、夏休み中、現場のある日以外にも月川と仕事ができるのが嬉しかった。 この頃、私は既に小さな現場は現場のリーダーとして後輩を連れて仕事をするようになっていたから、月川といつも一緒の現場になるとは限らなかった。 そんな矢先の月川からの誘いを断る理由は何も無かった。
「お前も、とうとう月川の毒牙に引っかかったな。」
アルバイト先の面々は、口々にそう言った。
「あいつさ、あの性格だから、アシスタント付けてもすぐやめられちゃうんだよ。 あの、うるさいくらい几帳面な性格はね・・・ついていくの大変だよ。 ま、過去に長続きしたのはあいつの元婚約者くらいだったな。」
私は思わず桑田専務に聞き返した。
「婚約者って、月川さんのアシスタントをしていたんですか?」
「そうだよ、彼女も学生時代にうちで殺陣師をしてて、その後、月川が自分のアシスタントにしたんだ。」
「女性の殺陣師?」
「そう、反射神経もスタイルも良くてな。 現場で一緒に仕事するうちに月川、彼女に惚れちゃったんだよ。 あ、月川も殺陣師出身だからね。」
月川が殺陣をやっていたことは本人から聞いていた。 元婚約者がケイエス・プランニングでアルバイトをしていたことも聞いていた。 でも、月川のアシスタントだったということは初耳だった。
「すごく活発な人だったんですね。」
「活発だけど気も強かったな。 現場の口論はしょっちゅうでな。 だから、付き合い始めてすぐに月川は彼女にバイト辞めさせたんだ。 ま、現場の口論をプライベートに引きずりたくなかったんだろう。 始まっちゃうとお互い全く引かなかったからな。」
桑田は、だから今回、月川がアシスタントとして私を起用したのは正解かもしれないと言った。 元婚約者と正反対の性格と、殆ど運動神経を持ち合わせていない私は、とても活発で積極的で、自分の意見を押し通すような性格では無かったから、月川のあの几帳面な性格がいやでなければ、もしかしたら長続きするかも知れないと思ったようだ。
確かに、月川との仕事はとてもスムーズに進んだ。月川は私のコンディションにとても気を配ってくれた。 私にとって、月川の几帳面な性格は、かえって、彼のパターンを先読みするには好都合だった。 私は月川が何を考え、どうしたいのかをある程度予測できた。 桑田専務から言われていた月川の欠点もうまくカバーできた。
「月川は人にものを頼むのが下手なんだよ。 自分で気がついてやってほしい・・・って良く昔はバイトの文句言ってたけど、バイトなんだからそれは無理だよなぁ。 だから、一人で勝手にさっさとやっちゃって、バイトに嫌われて辞められちゃうんだよ。」
それは、私もアルバイトを始めた当初から気がついていた。 でも、私にはそんな月川の性格は全く問題なかった。 物事の先を読む。 それは、私の母親がいつも父親に対してやっていたことだったから。
「気を使うんじゃないのよ、気を配るの。 そうすれば、人との関係はスムーズにいくから。」
母は私に良くこう言った。 それを幼い頃から実践してきた私には、
「やりづらい。」
と皆が言っていた月川との仕事が、むしろ、“あ・うん”の呼吸でできるのが嬉しかった。
でも、気がかりは勿論あった。 それは私が不在、もしくは、違う現場や、違う打ち合わせで月川を一人にした時だった。 案の定、月川は同僚にも他のアルバイトにも仕事の手伝いを頼まず、真夜中まで、時には徹夜で仕事をすることがあった。
「そんなの、明日でいいじゃない・・・って言われるのいやなんだよね。 明日は明日でまた仕事が出てくるから、今日できることは今日やっておかないと。」
月川の口癖だった。 時々、早朝のオフィスのソファーで死んだように眠っている月川の寝顔を見ながら、私は月川を一人残して現場から直帰した自分を時々後悔したものだった。
そんな月川の性格が今回も災いしたのだろうか・・・。 ならば、私のせいだ・・・。 月川の性格を知っていながら、彼を一人残してきた、私のせいだ・・・。 3月。 春休みはイベントのシーズンでもあり、仕事はどんどん増えていた。 たった3日とは言え、きっと月川は私のいない3日間を、どうにか自分ひとりでやり通そうと思ったに違いない。 確か、この3日間の現場は、ある企業の総合グランドに設営された移動遊園地だったはずだ。 しかも、約10人近くのアルバイトがおり、もう一人、正社員がヘルプで入っていたはずである。 移動遊園地には、ミニSL, バッテリーで動くミニカー、トランポリン、金魚すくいなどの出店が多数あり、そのセッティングは全て私が旅行にでる前日に完了していたはずである。 月川が困らないように、事前に何度もイベント内容を確認し、抜かりが無いようにしてきたはずなのに、どうして・・・。 私の頭の中では、現場のレイアウトの中で、何か危険なものは無かったかを必死で探していた。 もしかして、交通事故? でも、桑田専務は交通事故とは言わなかった。 じゃ、何・・・。
頭の中の混乱とともに、私の不安と焦りは極限に達していた。 月川の手に触れたかった。 月川のごつごつした肉付きの良い、暖かい手で頭を撫でて欲しかった。 いつものように・・・。 いつも私の緊張や不安で震えた心は彼の手の温もりで落ち着きを取り戻した。 私の頭に触れた月川の手に自分の手を重ねる。 月川の手の感触が私の頭と手を通って心に達するまで、じっと動かずに、目を閉じたまま動かずにいると、月川の強く・優しく・揺るぎのない愛情を体全体に感じることができた。 体がふわっと宙に浮くような、実際触れているのは頭と手だけなのに、私の体全てを包み込んでくれるような感じがした。
たった2日前、私の頭を撫でてくれた月川の手。 魔法の手。 今、私は何年も私に触れ続けた彼の手が死ぬほど恋しい。 「月川さん、今すぐあなたの手に触れたい・・・。」
「現場のレイアウトを考えたり、クライアントとの打ち合わせや、時々図面も引いてもらうから。 夏休みは、子供向けのイベントも入ってくるから、結構忙しくてね。 たまに徹夜になったりもするんだ。 あ、綾乃ちゃんは徹夜することは無いけど。」
大学で空間デザインを勉強していた私は現場以外の机上の仕事にも魅力を感じていた。 私と同じくデザイン科を卒業していた月川とも話が合ったし、月川から実践を学ぶにはいいチャンスだと思った。 何より、夏休み中、現場のある日以外にも月川と仕事ができるのが嬉しかった。 この頃、私は既に小さな現場は現場のリーダーとして後輩を連れて仕事をするようになっていたから、月川といつも一緒の現場になるとは限らなかった。 そんな矢先の月川からの誘いを断る理由は何も無かった。
「お前も、とうとう月川の毒牙に引っかかったな。」
アルバイト先の面々は、口々にそう言った。
「あいつさ、あの性格だから、アシスタント付けてもすぐやめられちゃうんだよ。 あの、うるさいくらい几帳面な性格はね・・・ついていくの大変だよ。 ま、過去に長続きしたのはあいつの元婚約者くらいだったな。」
私は思わず桑田専務に聞き返した。
「婚約者って、月川さんのアシスタントをしていたんですか?」
「そうだよ、彼女も学生時代にうちで殺陣師をしてて、その後、月川が自分のアシスタントにしたんだ。」
「女性の殺陣師?」
「そう、反射神経もスタイルも良くてな。 現場で一緒に仕事するうちに月川、彼女に惚れちゃったんだよ。 あ、月川も殺陣師出身だからね。」
月川が殺陣をやっていたことは本人から聞いていた。 元婚約者がケイエス・プランニングでアルバイトをしていたことも聞いていた。 でも、月川のアシスタントだったということは初耳だった。
「すごく活発な人だったんですね。」
「活発だけど気も強かったな。 現場の口論はしょっちゅうでな。 だから、付き合い始めてすぐに月川は彼女にバイト辞めさせたんだ。 ま、現場の口論をプライベートに引きずりたくなかったんだろう。 始まっちゃうとお互い全く引かなかったからな。」
桑田は、だから今回、月川がアシスタントとして私を起用したのは正解かもしれないと言った。 元婚約者と正反対の性格と、殆ど運動神経を持ち合わせていない私は、とても活発で積極的で、自分の意見を押し通すような性格では無かったから、月川のあの几帳面な性格がいやでなければ、もしかしたら長続きするかも知れないと思ったようだ。
確かに、月川との仕事はとてもスムーズに進んだ。月川は私のコンディションにとても気を配ってくれた。 私にとって、月川の几帳面な性格は、かえって、彼のパターンを先読みするには好都合だった。 私は月川が何を考え、どうしたいのかをある程度予測できた。 桑田専務から言われていた月川の欠点もうまくカバーできた。
「月川は人にものを頼むのが下手なんだよ。 自分で気がついてやってほしい・・・って良く昔はバイトの文句言ってたけど、バイトなんだからそれは無理だよなぁ。 だから、一人で勝手にさっさとやっちゃって、バイトに嫌われて辞められちゃうんだよ。」
それは、私もアルバイトを始めた当初から気がついていた。 でも、私にはそんな月川の性格は全く問題なかった。 物事の先を読む。 それは、私の母親がいつも父親に対してやっていたことだったから。
「気を使うんじゃないのよ、気を配るの。 そうすれば、人との関係はスムーズにいくから。」
母は私に良くこう言った。 それを幼い頃から実践してきた私には、
「やりづらい。」
と皆が言っていた月川との仕事が、むしろ、“あ・うん”の呼吸でできるのが嬉しかった。
でも、気がかりは勿論あった。 それは私が不在、もしくは、違う現場や、違う打ち合わせで月川を一人にした時だった。 案の定、月川は同僚にも他のアルバイトにも仕事の手伝いを頼まず、真夜中まで、時には徹夜で仕事をすることがあった。
「そんなの、明日でいいじゃない・・・って言われるのいやなんだよね。 明日は明日でまた仕事が出てくるから、今日できることは今日やっておかないと。」
月川の口癖だった。 時々、早朝のオフィスのソファーで死んだように眠っている月川の寝顔を見ながら、私は月川を一人残して現場から直帰した自分を時々後悔したものだった。
そんな月川の性格が今回も災いしたのだろうか・・・。 ならば、私のせいだ・・・。 月川の性格を知っていながら、彼を一人残してきた、私のせいだ・・・。 3月。 春休みはイベントのシーズンでもあり、仕事はどんどん増えていた。 たった3日とは言え、きっと月川は私のいない3日間を、どうにか自分ひとりでやり通そうと思ったに違いない。 確か、この3日間の現場は、ある企業の総合グランドに設営された移動遊園地だったはずだ。 しかも、約10人近くのアルバイトがおり、もう一人、正社員がヘルプで入っていたはずである。 移動遊園地には、ミニSL, バッテリーで動くミニカー、トランポリン、金魚すくいなどの出店が多数あり、そのセッティングは全て私が旅行にでる前日に完了していたはずである。 月川が困らないように、事前に何度もイベント内容を確認し、抜かりが無いようにしてきたはずなのに、どうして・・・。 私の頭の中では、現場のレイアウトの中で、何か危険なものは無かったかを必死で探していた。 もしかして、交通事故? でも、桑田専務は交通事故とは言わなかった。 じゃ、何・・・。
頭の中の混乱とともに、私の不安と焦りは極限に達していた。 月川の手に触れたかった。 月川のごつごつした肉付きの良い、暖かい手で頭を撫でて欲しかった。 いつものように・・・。 いつも私の緊張や不安で震えた心は彼の手の温もりで落ち着きを取り戻した。 私の頭に触れた月川の手に自分の手を重ねる。 月川の手の感触が私の頭と手を通って心に達するまで、じっと動かずに、目を閉じたまま動かずにいると、月川の強く・優しく・揺るぎのない愛情を体全体に感じることができた。 体がふわっと宙に浮くような、実際触れているのは頭と手だけなのに、私の体全てを包み込んでくれるような感じがした。
たった2日前、私の頭を撫でてくれた月川の手。 魔法の手。 今、私は何年も私に触れ続けた彼の手が死ぬほど恋しい。 「月川さん、今すぐあなたの手に触れたい・・・。」
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